どうも、和佐です。
「読む共感がお金に変わる魔法の授業」も今回で4話目になりますね。
ここまで「共感」というキーワードで様々な事例について分析してきました。
少しずつ、
“今までのロジックとは全く違うロジックで世の中が動き始めている”
ということが見えてきたんじゃないでしょうか?
さて今回はいよいよさらに「核心」に迫っていこうと思います。
「共感がベースにあるビジネスと人生のカタチ」
についてです。
今回は特に「神回」になること必至です。
今回のテーマは、
「共感がベースのビジネスや人生は良いことしか無さすぎる」
です。
ここまで3話を通して、今の時代、そしてこれからの時代のキーワードは「共感」であるという話をしてきました。
例えば、最近増えてきた
「オンラインサロン」
というものについて。
上手くオンラインサロンを運営できているところというのは、必ず、メリット以上に「共感」が「価値」になっています。
仮に「メリット」をオンラインサロンの「売り」として考えた場合、要するに「相場以上に価値がある“コンテンツ”」を提供する必要が出てくるわけですが、これでは「オンラインサロン」である意味があまりありません。
だって広告を出して、他のサービスよりもメリットがあることを伝え、メリットを「目的」としたお客さんを集客することになるので、ある意味、それ以上でも、それ以下でもないビジネスモデルになってしまうのです。
これであれば別に「オンラインサロン」という形式を取る必要はないですよね。
キングコングの西野亮廣さんのオンラインサロンが異常なスピードで会員を増やし続けていますが、
あれはつまり、
「それだけ多くの人を巻き込むことに成功している」
ということになります。
確かピーク時は会員数が8万人を超えたようですが、一体8万人中の何人が「メリット」で入会して、残っているんでしょう?
ぶっちゃけ、オンラインサロンには「入ってるだけで受け取れるメリット」なんてほとんどなくて、
自分から積極的に、あるいは、“好意的に”価値を受け取りに行かなければなりません。
例えば、西野さんの場合であれば、毎日サロンに向けて記事を投稿していますが、その全てが「役に立つ記事」では、当然ないわけです。
むしろ、西野さんによる、西野日記であることの方が多い。
もし仮に西野さんのことが嫌いなのであれば、あるいは、全く共感できないのであれば、きっとその日記にはなんの価値もないでしょう。
いや、逆に価値がないどころか、読むことが苦痛だと思うんです。
でも、共感している人にとっては毎日読んでいて飽きないし、むしろ毎日ちゃんと書いて欲しい。
そして、積極的・好意的なスタンス“だからこそ”その日記から得られるものがあるわけです。
それは「発見」かもしれないし、「やる気」かもしれない。
目に見えるもの、数値化できるもの、言葉で説明しやすいものではないかもしれませんが、「確かに」何かを感じて、何かを受け取ることができているから、西野さんのオンラインサロンにお金を払って参加し続けるわけです。
そして気がついたら8万人。
これって物凄いことだと思いませんか?
他にも例えば、
「ユーチューバー」
ですが、確か第2回で紹介しましたが、
「プロっぽい(テレビっぽい)早見もこみちさんのチャンネル」
と
「素人っぽいパパの料理チャンネル」
では、素人っぽいパパの料理チャンネルの方が圧倒的に人気がある(再生回数が10倍ぐらいある)という話をしましたね。
これも従来のロジックで考えると不思議なことですが、「共感」というロジックで考えるとよくわかる事例です。
要するに、
「役に立つからという理由でYouTubeを見る人」
よりも、
「なんとなく共感するからという理由でYouTubeを見る人」
では、圧倒的に「なんとなく共感するから」という理由で見ている人の方が多い、ということです。
それこそ単純計算で10倍は多いわけです。
もちろん、だからと言って「プロによる、専門性が高いチャンネル」が、ダメだと言っているわけではありませんよ。
それはそれで需要があるし、専門性が高い故に、マネタイズしやすいというメリットはあるでしょう。
でも、
「そこで生き残れるのは本当のトッププロだけ」
という現実を理解しておく必要があります。
じゃあ「料理動画」というジャンルで考えてみれば、仮にパスタの専門チャンネルがあったとして、それが極めて専門性が高いとしましょう。
でも、そんなチャンネルは10も、20も必要ないと思うのです。
せいぜい5つぐらいでいいですよね?
しかし実際には、YouTubeを見れば料理チャンネルは無数にあって、信じられないぐらい人気のチャンネルが10や20では数え切れないほどあります。
もちろんそれは「ジャンルが違う」という意味で棲み分けがあるとも言えるんですが、ほとんどの場合、「家庭料理」というジャンルなので、専門特化しているわけではありません。
例えば、「オムライス」の動画なんて死ぬほど出てくる。
そしてそれが死ぬほど再生されている。
同じオムライスの動画なのにどれも人気ですよね。
これがどういうことを意味するかといえば、
「世界で一番美味しいオムライスのレシピを探している人」
よりも、
「自分が美味しいと思えるオムライスのレシピ、自分が面白いと思えるオムライスの動画を探している人」
が多いということです。
だって、ただ美味しいだけでいいなら、クックパッドだったり、有名料理人の動画で十分なわけですから。
特に「食」というジャンルにおいては、「客観的な美味しさ」はあまり当てにならないということがわかっていると思うんです。
だからこそ、
「この人の料理は美味しそうに見える」とか、
「この人の料理動画はなんか楽しく見える」とか、
「この人の料理は作ってみたくなる」とか、
そーゆー部分がなければ、やっぱり人気にはならないわけです。
他のジャンルも同じですね。
「ゲーム実況」にしろ、
「ダイエットや筋トレ」にしろ、
「キャンプ」にしろ、
「やってみた系」にしろ、
「歌ってみた系」にしろ、
「客観的に価値があるかどうか?(クオリティが高いかどうか)」
ではなく、
「共感できるかどうか?(面白いと感じるかどうか)」
が、チャンネル登録者やリピート再生を増やすための鍵になっているのです。
それこそ、
「Repezen Foxx(旧レペゼン地球)」
なんてまさに
「最強の素人集団」
と呼んでもいいでしょう(笑)
福岡のマイルドヤンキー集団に、274万人以上のチャンネル登録者がいて、アベレージで100万回以上再生されている。
再生回数は500万、600万もザラです。
この現象はどう考えても、
「動画のクオリティ」や
「客観的に判断できる価値」では、説明ができないものです。
彼らの動画を見る人々。
いや、もっと正確に言えば、
“ついつい見ちゃう人々”
というのは、まさに
「なんとなく面白いから見ている」
のです。
そしてそーゆーものの方が、
「日常の会話の中で話題にしやすい」
という特徴があります。
だから友達同士とか、SNSで広がっていくわけですね。
逆に「中身がありすぎる動画」の場合、それを誰かにおすすめできなかったりするので、そこで口コミがストップしてしまうという、不思議な現象が起こるわけです。
合理的に考えれば、役に立つもの・価値があるものの方が広まっていきそうですが、ぶっちゃけ、日常会話の中で、
「この動画は絶対に役に立つから観た方がいいよ」
なんて言われても、
「うるせぇな、余計なお世話だ!」
と思いますよね?(笑)
人間とは不思議な生き物で、決して役に立つからという理由や、意味があるからという理由“から”は、行動を始めないのです。
実は何事も、共感や先入観でスタートするのです。
この他にも、
「クラウドファンディング」
の事例も紹介しましたね。
バーチャルユーチューバー の女の子のクラファンに2200万円集まったり、
ゲームセンターのクラファンに3700万円集まったり、
チーズケーキのクラファンに8000万円集まったり、
普通では考えられないようなことが次々に起こっています。
これらも全く同じで、
「客観的なメリットや価値があるから支援する」
という感覚ではなくて、
「共感したから支援する」
という感覚の人が、“喜んで”お金を払っているわけです。
・・・・
こんな風に、オンラインサロンにしろ、ユーチューバーにしろ、クラウドファンディングにしろ、
今、世の中を動かしているものの「中心的価値観」がシフトしようとしています。
これまでのロジックで言えば中心的価値観は、
「客観的な価値」
でした。
つまり、
「意味があるかどうか?」
ということですね。
例えば、自分の進路を選ぶ時だって、多くの人は
「就職に有利かどうか?」
という理由で進路を選んでいたはずです。
こんな感じで就職活動の時期にはみんなが同じような格好になるのも面白いですよね。
結婚にしろ、マイホームを買うにしろ、住む場所を決めるにしろ、必ずそこには「客観的に正しいかどうか?」という価値観があって、それを無視する人は「変人」と呼ばれていたわけです。
でもその価値観が段々と
「空虚」
に思えるようになってきてしまった。
だって、僕らは「賢く生きるために生まれた」わけではなくて、「幸せになるために生まれた」わけですから。
もちろん、長期的に観た時、20年、30年後、賢い選択をした人の方が幸せである可能性はありますよ。
例えば、夢を諦めてそこそこの会社に就職した人と、夢を諦めずに突き進んだ人では、将来的にどっちが幸せになれるかは、正直わかりませんよね?
これが昭和だったら、おそらく、夢を諦めた人の方が安定した生活ができていたでしょう。
でも、今の時代は、
「夢を諦めなくても幸せになれる可能性が十分にある」
わけです。
確率的には半々と言ってもいい。
そしてこれからの時代を考えると、自分の夢や想いに蓋をすればするほど、逆に不幸になる可能性の方が大きいかもしれません。
生活が安定していても不幸な人はいるし、お金持ちでも不幸な人はいる。
そーゆー現実が、だんだんと見えてきたからこそ、客観的な正しさがどんどん信用できなくなっていって、結果として、「今、この瞬間に楽しいと思えること」の価値が高まってきたわけです。
だから、
「共感」
というものが、世の中の中心的な価値観になりつつあるわけです。
これはもう、SNSが登場した時点である意味決定した運命です。
「いいね」が全て。
ただそれだけ。
もちろん、こうやって言い切っちゃうと、身もふたもなくて、なんとなくバカっぽいですが(苦笑)
でも、結局のところ、
「いいねが少ない人生」
と
「いいねが多い人生」
では、やっぱりいいねが多い人生の方が楽しいと思うわけです。
しかも今の時代はその「いいね(共感)」をお金に変えることができるプラットフォームが充実しているわけですから。
「賢いね」よりも、「いいね」なんですよね(笑)
じゃあ、「いいね」をもらうためには、おしゃれで映えている写真を撮ったり、そーゆー生活をしなきゃいけないのか?というと、そーゆーことでもありませんね。
だって、
東京の場末のゲームセンターがおしゃれで映えてるはずがないし、
奥さんと子供にモテたくて料理をしてるパパがおしゃれで映えてるはずがないですよね?(笑)
これと、
これですよ(笑)
「おしゃれ」「映え」は、共感の中の一種でしかないのです。
極論、
「四畳半でも共感は得られる」
のです(笑)
重要なのはそこに
「リアリティがあるかどうか?」
「情熱があるかどうか?」
ということ。
僕は謎に「アクアリウムを作る動画」を結構観てるんですが、動画としてはめちゃくちゃ地味なんです。
↑こんな感じ(でも100万回再生されてますね)。
アクアリウムというのは、水槽を買ってきて、そこに石や苔を配置して、魚を泳がせて、1つの「自然」を再現していくんですが、
別に僕はアクアリウムをやらないし、何かの参考になると思ってその動画を見てなくて、なんとなくその人の動画を見てしまう理由は、
「めちゃくちゃ楽しそうにやっている」
ってところなんです。
見ているこっちまで楽しい気分になってくる。
内容的には本当にゆるーい動画なんです(笑)
でも見ちゃう。
特にその人の最初の方の動画というのは、じみーな(たぶん実家の)部屋から始まってるんですが、それでも人気が出て、
今ではアクアリウム専用のマンションに引っ越し、アクアリウム専用にリノベーションまでしてるんです。
そのお金はもちろん、YouTubeの収益から出てるわけですが、そうやって「狭くて地味な部屋」から始まっても、共感が集まれば可能性が広がっていく時代です。
今の時代はこんな風に、想いさえあれば、共感がお金に変わるのです。
■男性性vs女性性の時代
「客観」と「主観」
「メリット」と「共感」
「プロ」と「素人」
ここまで様々な形で比較してきましたが、これをさらにもっと大きな概念で括るとすれば、
「男性性」と「女性性」
という話になります。
これまでの時代は男性性が中心的価値観にあって、これからの時代は女性性が中心的価値観になっていく、と。
だから必然的に活躍する女性は増えていくはずです。
で。
男性性というものを一言で表すとすれば、それは、
「支配(コントロール)」
です。
男というのは、何でもかんでも支配したがる生き物です(笑)
その最たるものが、
「未来を支配したい」
という欲求ですね。
つまり、
「目的と計画」
です。
確かにこれは大事なものです。
「ご利用は計画的に」じゃないけど、流石になんの計画性もなく生きていくのは不安だと思います。
でも、残念ながら、時代はどんどん
「不確実な時代」
へと突入しています。
「何が起こるか誰にもわからない時代」
例えば日本であれば、災害という意味でも不確実だし、経済的な意味でもどうなるかわかりませんよね?
あるいは、アメリカと中国とロシアの戦争に巻き込まれる可能性だってある。
少子高齢化問題、税収問題、地方自治体の破綻、etc…
地球規模で考えるなら、環境汚染や食料問題。
もっと身近で考えるなら、子供の将来に自分や両親の老後。
「問題」を数え出したらキリがありません。
しかしその一方で、AIやロボットの技術が進歩していて、そっちが希望になる可能性だってあります。
要するに、
「あらゆる可能性が渦巻く時代になった」
ということです。
これはきっと歴史上類を見ないことでしょう。
「見る方向によって見える景色が全然違う」
そして、
「そのどれもが実現し得る」
ということです。
悲観的なデータだけ見れば、そこには荒廃した未来が見えるでしょう。
↑こう見える人もいれば
でも、希望的なデータを見れば、そこには輝く未来が見える。
↑こう見える人もいる
みんな見ている未来がバラバラなんです。
でも、男性性というのは支配したがるものですから、
「“全員が”一丸となって同じ未来を目指すべきだ」
と、鼻息を荒くするわけです(苦笑)
しかし、そもそも「見ている世界」が共通じゃないので、もうそんな鼻息の荒いリーダーシップなんて誰も求めていないのです。
みんなが見ている世界がバラバラだからこそ、そーゆー支配的な発想ではなくて、
「共感してくれる人が集まって、“私たちの”理想を目指しましょう」
という発想が重要になってくるわけです。
「強制」ではなく、「協力」。
「支配」ではなく、「共感」。
これが次の時代の中心的価値観になっていくはずです。
↑BOSSとLEADERの違いと同じですね
で、共感が中心となった時、どんなことが起きるのかというと、
「ビジネスの“動き”が全く別のカタチになる」
ということです。
従来のビジネスの動きというのは、
集客→セールス→販売→リピート
という流れになります。
例えば、ホームページに1000人やってきたら、大体1%の人から問い合わせがあって、さらにそこから10%の人が購入まで進み、さらにそこから30%の人がリピートしてくれる、みたいな感じですね。
これを見ればよくわかりますが、
1000人→10人→1人→0.3人
という風に、徐々に人数が減っていますよね?
“だから”従来のビジネスの考え方では、人数が減っていくことを前提として考えて、そこから逆算して計画を立てていくわけです。
その結果、「漏斗型(ファネル)」になっていきます。
こんな図でよく説明されますよね?
これはこれでまあ、間違いではありません。
マーケティングの神様と知られる「ジェイ・エイブラハム」は、これを前提としてさらにわかりやすく、
「ビジネスを大きくする3つの方法」
として、
1.顧客数を増やす
2.購入単価をあげる
3.購入回数を増やす(リピート率を上げる)
という方法を提唱しています。
これってめちゃくちゃ合理的ですよね?
だって「方程式」としてビジネスを理解できるわけですから。
つまり従来のビジネスの方程式はこうです。
顧客数×(購入単価×購入回数)=ビジネスの規模
1万人がアクセスしてきて、10%の人が平均1万円の商品を平均3回買ってくれるとすれば、売上は3000万円ということになります。
男はこーゆー「計算」とか、「計画」が好きなわけですね(笑)
でも今、こーゆー発想自体が非常に苦しくなってきている現実があります。
なぜなら、
「共感で人が集まるビジネスが増えているから」
です。
さっきの合理的なビジネスの場合、そもそもの「分母」となるお客さんを広告だったり、SEOだったりで「集客」しなければならないわけですが、
その一方で、共感で人が集まる場合、集客はほとんど必要ありません。
だってその場合は、
「共感が共感を呼んで広がる」
わけですから。
以前紹介したクラウドファンディングの例で言えば、例えばチーズケーキなんかはそうで、
「チーズケーキが好きな人を集客したから8000万円もお金が集まった」
ということではありません。
従来の発想で考えるのであれば、
「チーズケーキ おすすめ」とか、
「チーズケーキ 美味しい」とかの
キーワードで広告を出したり、SEOで上位表示させようと思っちゃうんですが、それでは広がらないわけです。
だってそれは「人数を減らしていく(絞っていく)マーケティング」だから。
じゃあどうやってチーズケーキが好きな人を集めたのか?と言えば、彼らがやったことはたった2つだけです。
1.自分たちの想いを正確に表現すること
2.自分たちの想いに共感してくれる“最初の数人”を集めること
です。
たったこれだけで8000万円が集まったわけです。
カラクリは単純です。
「共感した人は、その気持ちを誰かに共有したくなる」
ということ。
例えばそのチーズケーキのメッセージに共感した人がいたとすれば、その人は、自分が共感した気持ちを、もっと他の人にも知って欲しいと思うわけです。
だから思わず、SNSでつぶやいてしまう。
なんならnoteに書いてしまう。
だって自分が好きなものを、同じように好きと言ってもらえたら嬉しいじゃないですか?(笑)
人間って意外と単純なんです。
特に今の時代は、
「承認欲求が隠せない時代」
と言われています。
これはつまり、
「共感したいし、共感されたい」
ということです。
共感する・されるということによって、自分の承認欲求が満たされ、いい気分になれる。
逆に自分が良いと思っているものが、誰にも受け入れられなかったら落ち込んでしまうわけです。
だからこそ、共感した人というのは“積極的に・能動的に”口コミを起こしてくれるわけです。
これが積み重なると、最初は少しずつですが、やがて加速度的に認知が広まって、その結果が8000万円という、とんでもない結果につながったというわけです。
よく、こーゆー図で説明されると思いますが、「指数関数的に」広まっていくわけですね。
つまり従来のビジネスのカタチとしては、
広告費の大きさ=ビジネスの大きさ
という風に考えることもできますが、共感がベースにあるビジネスの場合、
共感の強さ・広さ=ビジネスの大きさ
ということになるのです。
だから共感がバッチリ噛み合ったとしたら、利益率はとんでもないことになりますね(笑)
だって実質広告費はゼロですから。
でも従来のビジネスの場合、広告費をかければかけるほど、当然リスクだって大きくなるので、「強いライバルが出てきて、商品が売れにくくなった」というだけで、一気に赤字に変わることもあるわけです。
もちろん、共感がベースのビジネスだって、全く共感が得られないというリスクはありますが、少なくともそこに金銭的なリスクはほとんどありません。
■共感がベースのビジネスは良いことしか起こらない
もしも本当に共感がベースとなったビジネスを作れたとしたら、これまでの常識では考えられないような「良いこと」が起こるようになります。
まず大前提として、
「クレーマーはほとんど寄り付きません」
これはめちゃくちゃ重要ですね。
もちろん「アンチ」は一定数出るかもしれませんが、アンチはお客さんにはならないので、所詮、外野です。
でも、メリットで商品を売った場合、意外なほど高い率で、キ○ガイクレーマーが入ってきたりするものです。
クレームの処理やカスタマーサポートというのは、実はビジネスにおいてかなりの「コスト」になるので、これを未然に防げるのは本当に素晴らしいことです。
そして次に、
「利益率が高く、リスクが低い」
ということ。
これもさっき話した通りですが、広告費が削減できるという意味で、利益率は通常のビジネスよりも何倍も高くなります。
そしてそれ故に金銭的なリスクが発生しにくいですね。
そしてこれによって次の、
「本当にやりたいことにリソースを使える」
ということにつながっていきます。
広告費にかけるリソース(お金・時間・人材)、クレーム処理にかけるリソース、これらが著しく減るため、自分が理想とする「やりたいこと」にフォーカスできるようになります。
そしてやりたいことをやるからこそ、より共感が強まっていくわけです。
さらに、
「モチベーションが無限に湧いてくる」
これは意外と見落とされていることですが、ビジネスにおいて、あるいは人生においてモチベーションというのは、とても重要な要素です。
日本語では「やる気」と言われるわけですが、仮にお金が儲かるとしても、どうしてもやる気が出ないことって結構あるわけです。
そうなると、お金のために働いている感じが出てしまう。
これが極まっていくと、マジでなんのために生きているかが見えなくなっていきます。
人生に迷い始めてしまうのです。
でも、共感がベースの場合、お客さんは自分の価値観に共感してくれるわけですから、ぶっちゃけ、それだけで嬉しいわけです。
「嬉しい」がモチベーションにつながって、モチベーションはさらなる「共感」につながっていきます。
こーゆー「雰囲気」は、知らず知らずのうちに出ちゃうものなんです。
「嫌々」か、「嬉々としてるか」の違いですね。
もし応援するなら、当然嬉々としている人を応援したいですよね?
そして最後に、
「圧倒的にやっていて楽しい・幸せ」
ということ。
モチベーションともかぶりますが、やっぱり楽しいんですよね(笑)
最後はバカっぽい理由ですが、人間って理屈では生きていないんです。
誰だってもし“可能であれば”、
「毎日、子供のように刹那的に楽しんで生きたい」
と思うわけです。
将来のことをあれやこれや思い悩んだり、将来のために今を犠牲にしたりせず、毎日が楽しい人生を送りたい。
これまでのロジックではそれが「できない」とされてきたし、それじゃあ「ダメだ」とされてきたわけですが、今はもう違います。
大人な大人、よりも、子供な大人の方が共感される時代です。
全く面白い時代ですよね(笑)
・・・・
ね?
共感がベースのビジネスや人生は良いことしかないでしょ?(笑)
もちろん最初から共感に「全振り」することはできないでしょう。
だって僕らにはまだまだ男性的な発想や、これまでのロジックが染み付いてますから。
でも、少しずつ、今回話してきたような、共感をベースにしたビジネスや人生にシフトさせていかなければ、せっかくの人生が潰れてしまうかもしれません。
身を粉にして一生懸命働いた結果が、過労死とか、孤独死とか、流石に笑えませんよね?
でも現実にそーゆーことは起こっているわけです。
共感がベース(軸)なら、少なくとも孤独にはなりません。
過労死だってしないでしょう。
仮に働きすぎで死んだとしたらそれは「楽しすぎ死」です(笑)
むしろ本望かもしれませんよね。
今回はめちゃくちゃ長いnoteになってしまいましたが、時代の変化をよりリアルに感じてもらえたんじゃないかと思います。
次回は、
「僕が絶望したビジネスの現実」
について話そうかと思います。
今回の話とは「真逆」の話ですね。
如何に男性性のビジネスの行き着く先が“つまらないもの”なのか?
僕は23歳ぐらいで実感しているので、ちょっと恥ずかしいですが(笑)、なるべく赤裸々に語ろうと思います。
それでは今回はこれで。
最後までお付き合いありがとうございました。
和佐大輔
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