Interview和佐大輔を語る『母』

「大輔はケガで身体を動かせなくなってから、自分の思いを人に伝えるスキルが向上しました。今振り返ればそのあたりが彼のターニングポイントだったと思います」

和佐大輔の母

和佐大輔をこの世に誕生させ、今日まで育てあげてきた母の目から見た和佐大輔について語ってもらいました。

生まれた時の大輔は“白い女の子のような男の子”

大輔は3300gの健康体で生まれてきてくれました。それまでの3人がみんな男の子だったので、看護婦さんが「色の白い女の子…」と言った時は『初めての女の子か!』と思ったのですが、その後「…のような男の子です」と続けられて(笑)。とはいえも主人も私も、健康に生まれてきてくれれば男女どちらでもよかったのですが。

「大輔」というのは長男っぽい名前ですが、これは主人の母が京都の偉い先生に頼んでいくつか出してもらった候補のうちの一つでした。だからその候補から選ぶしかなかったんですね。上の3人もみんな、主人の母が八幡様などに頼んで候補を出してもらって、その中から主人と私で名前を選ぶという形でした。

生後5ヶ月ごろの大輔

あれこれ言っても無駄だと思った 警察の人もやってきた

大輔には「あれしなさい、これしなさい」と言ったことはほとんどありません。と言うのも、上の子3人を育ててみて、言っても無駄だとわかったからです(笑)。私の話に対して「うん、わかった」と返事はするけど、それは「理解した」ということではなく「話が聞こえた」という返事なんですね。そして返事した途端、右から左へ抜けていく(笑)。だからもう、友達と仲良く遊べてコミュニケーションが取れて、身体が丈夫であれば将来もなんとかなるだろうと思うようにしました。

うちは子供たちの友達がよく集まる家でした。大輔は同い年の友達も多かったのですが、上の3人の友達からもかわいがられていました。だから大輔は自然に幅広い年齢の子たちと付き合っていたのですが、目上の子を目上だと思わず、対等だというふうに思っていたみたいですね。もともと人のやることには関心のある子で、人が何か目新しいことをやっていたらすぐに自分もやりたいと言ってやっていました。

だから同い年の子に比べて成長の度合いは早く、行動範囲も広かったです。おかげでこっちは大変でしたが(笑)。予想の範囲を超えていましたからね。外に遊びに行っても、長男や次男の頃はどのあたりに行っているかがだいたいわかったのですが、大輔は全くわからなかったですから。夕方になって探し回っても見つからない。警察の人が来て「川の流れが速くなっているのに飛び込んで、流れに乗っかって岸に上がるような危険なことをしている」と言われた時は驚きました。

住んでいたところが山も川も海もある土地柄だったので、危ない遊びばっかりやっていたみたいですね。後からどんな遊びをしたのか聞いて、ほんとに「怖いな…」と思いました。

やんちゃだったころの大輔

間違ったらどうしようという恐怖心が一切ない

私は電機メーカーで事務をしていた頃に仕事で業務用コンピューターのマニュアルを書き写したりコピーしたりしていた関係で、パソコンが出始めた頃からもともと興味がありました。それで釣具店の経理をするためにパソコンを買ったのですが、当時小学6年生だった大輔は当然のようにそのパソコンをいじり出しまして。

その頃はまだダイヤルアップだったので、「電話料金がかかるからもうそのくらいにしとき!」と何度大輔に言ったことか(笑)。ちなみに私は見たいページをいくつか開いた後に接続を切り、履歴で見ていくというような裏技を使っていました。

子供たちは4人とも、中学でパソコンの授業を受けていました。彼らには「間違えたらどうしよう」みたいな恐怖心がないんですね。私はエラーメッセージが出たら怖くてしょうがないのに。だから大輔もいつしか、私よりもどんどんパソコンに詳しくなっていきました。その恐怖心の無さは今でも続いていますね。次々と新しいことにチャレンジしていますから。

身体が丈夫であれば…の願いも叶わず でもそこから大輔は変わった

中学の頃の大輔はバスケットボールが大好きで、身体も筋肉がついて、逆三角形のいい体型になっていました。身体さえ丈夫であればと思っていた私にとってはそれで十分だったのですが、ケガで車椅子生活になってしまって…。

面倒なことが嫌いな子でしたから、自分が今まで普通にできたことができなくなってそれらを全部人に頼まないといけないというのを面倒だと思うんだろうな、だからこっちは彼がしてほしいことを察知してあげないといけなくなるんだなと思うと「これから大変になるなあ」と思ったものでした。

でも、私たち家族も何から何までできるわけではありません。だから自分でやってほしいことは大輔にちゃんと伝えましたし、やってほしいことは面倒くさがらずにちゃんと看護婦さんに言うように、そしてやってもらったらお礼を言うようにということもしっかり言って聞かせました。

今振り返ると、この頃からですね。それまでの大輔が変わったなーと思えるようになったのは。

一番変わったと思ったのは、書くにしても話すにしても、自分が思ったことを伝えるスキルがすごく向上したことです。大輔は、昔は作文が大嫌いな子だったんです。読書感想文も「読みました。面白かったです」くらいしか書かない。しかも読書もしていない(笑)。

それが車椅子生活になり、してほしいことや思ったことなどを自分から相手に伝えるということがどうしても必要になったことで、だんだんスキルが身についていったのでしょうね。その後、大輔がネットで売るための商材を書いて「お母さんでもわかるように書いたから読んで」と言うので私も目を通しましたが、自分が伝えたいことが出てくるとこんなにも言葉があふれ出てくるんだな、とびっくりしたものです。それが「ブログ解体新書」でした。

怪我をして1年後の大輔

「たまたまうまくいっただけ」と思っていたのがここまで継続するとは

「ブログ解体新書」はまさかあんなに売れるとは思っていませんでした。それまでアフィリエイト関連の教材で何百万くらいは売っていましたが、大輔から「何千万単位で売れる」と聞いた時にはそれまでとはケタ外れの数字ですからその言葉を信用できなかったんです。でも実際に大輔が言ったぐらいの売り上げになった。そんなに売れないと思って税金対策もしていなかったので、おかげでたくさん税金を取られました(笑)。

それでも私はまだ「たまたまうまくいっただけ」ととらえていました。その一方、これだけ売れたということで大輔がいろんなネット関係の人たちから声をかけられるようになったので、その人たちがどんな人物なのかと心配で。だから大輔に「悪い人に引っかかっちゃだめよ、悪いことはしたらダメよ」としきりに言っていました(笑)。

まだ当時18歳でしたからね。この頃から大輔はたびたび東京に行くようになったのですが、最初のうちは私も心配でついて行きました。会う人たちがみんないい人だったのでそのうち次男に任せるようになりましたが。その後「スパ強」も成功したことで、高知の田舎から東京に行くのは不便だったのと、次に予定していたプロジェクトである「ICC」のために兵庫県の西宮に部屋を借りました。ICCは会ったことのない人も自宅に面談に来るので、何かあっても大丈夫なように次男と私も同居していつもいるようにしました(笑)。でもみんないい人で安心しました。

母は大輔をこんなふうにサポートしている

大輔がセールスレターを書いた時には「これ読んでみて」と言われるので必ず見ています。その時、言葉がおかしいとか文章の流れとか、言っていることがわかるかといったことを私なりにチェックして感想を言うようにしています。「ブログ解体新書」の時もそうでしたが、大輔は私にチェックさせることで、私のような素人が読んでもわかるものをリリースしよう出そうという意志が見て取れますよね。今では大輔が何をやっているのかはだんだんわからなくなってきていますが(笑)、セールスレターを読むことで少しはわかる感じです。

その一方、私は大輔の会社の経理を担当しているので、その立場から経営面のことで一度アドバイスしたことがあります。「ある時にドーンと売り上げてそれ以外の月は売り上げがない、というのでは経営的に安定しないし税金対策もしづらい。毎月安定的に継続する売り上げは作れないのか」と。安定的な売り上げがないと年間売り上げ予測が立てづらく、役員報酬を決めづらいですからね。

それまで順調だった釣具屋のほうが安い中国製品の出現によって一気に売上ゼロになってしまったこともあって、私は今のうちから別の収入の柱、それも安定的な柱を作るように提案したのです。すると大輔は「わかった。ちょっと考えてみる」と言って、それで「Illmatic通信」を作り上げました。そうやって、すぐに形にするのは我が子ながらすごいな、と思いました。

自分がしたいことは自分ができることをフルに活用して実現する。それが大輔のスタイル。

大輔はケガをしてから、何でも自分で調べて自分でやる子になりました。

最初の施設に入った当初、好きなマンガを読むときは専用の台を作ってもらってそこにマンガを置き、私たちがページをめくってあげていました。でも、ずっと大輔の横についていないといけないのでこっちもつらい。するとそれを察してか、大輔は自分で棒を使ってめくるということをやり始めたのです。ゲームも自力でやっていましたね。

神戸のリハビリ施設に移ったときには私たちはもう通い詰めていなかったので、大輔はさらに自分ひとりでいろいろやり始めました。携帯が使えるようになっているのには驚きましたし、パソコンでも自分ひとりで検索できるようにもなっていて、人に教えてあげられるくらいになっていました。その施設で一番年少だったのに人に教えているということで、「恐るべき16歳」と言われていたくらいです。

タイピングにしても、昔は手に棒を撒きつけて打っていましたが、これだと長い時間はできないし、スピードも遅いということで自分で工夫して割り箸を口にくわえるようになったのです。本人は「打ち過ぎて、絶対出っ歯になる」と言っていますが。今は普通に手でタイピングする私よりも口に割り箸を加えてタイピングする大輔のほうが早いです。たまに「打って」と言われて彼の原稿を打つことがあるんですが、「遅い!」と言われます(笑)。

これらはリハビリの一つとも言えるのですが、大輔はリハビリというよりは自分のしたいことをしたいからという理由で、自分が使える機能をフルに活用してやっていたんですね。そのモチベーションが彼をここまで成長させたのだと思います。

今、大輔は画像の編集や動画の編集もこなしていますが、それも誰に習ったわけでもなく、自分で調べてやれるようになったんです。そうやって何でも自分でやってしまうところはすごいと思いますね。彼は自分でいろいろ調べているから自分の知りたい目的のページにたどり着くのがすごく速いと思います。私などは何か調べたいと思って調べようとしてもなかなか目的の情報が載っているページにたどり着かないですから。

「これしかない」という環境が迷いをなくし、大輔をここまで成長させた

大輔は今やっているようなことしか仕事の選択肢がなかったから迷いなく集中できて、今のような結果に結びついているのかなと思います。もしも選択肢が多かったら絞り切れなくていろいろ迷ったかもしれませんから、「これしかない」という状況になったのは結果的にはよかったのかなと思います。

最近、私は大輔に「お母さん、好きなことをやったほうがいいよ。人生一回しかないから」と言われました。私は一時期、ケガをした大輔の生活のことや釣具店の経営のことしか考えられない日々が続きました。大輔はそれを知っていて私に言ってくれたんでしょうね。その言葉に甘えて、私はこの年になってようやくいろいろな初体験をさせてもらっています。

今、大輔には「楽しい人生をありがとう」と言いたいですね。

家族で京都旅行に行ったときの様子

Profile

大手電機メーカーの事務職を経て釣具店を営む和佐家に嫁ぎ、授かった4人の男の子を釣具店の経理業務を行ないながら育て上げる(大輔は末っ子の四男)。

現在は大輔の会社・株式会社ICCの経理を担当。安定的売上確保の必要性を助言して大輔が「Illmatic通信」を作るきっかけを作ったり、大輔が書いたセールスレターを顧客の立場で読んでアドバイスを送るなど、大輔のビジネスに欠かせない良きアドバイザーでもある。