Interview和佐大輔を語る『原田翔太』

「ピュアな心を持ち続けている大輔がいるから成立していることがたくさんある。だから彼は天使なんです」

株式会社 ユナイテッドリンクスジャパン
(東京都武蔵野市) 代表取締役

原田 翔太 氏

携帯アフィリエイト関連で年商1億円を売り上げるなどの圧倒的な結果を叩き出し「ネットビジネス界の風雲児」と称されながら、同じ世界にとどまることを嫌ってオフラインビジネスのコンサルに乗り出し、小さな商店から名だたる大企業まで、売上記録を更新させ続けてきた気鋭の起業家・原田氏。
そんな原田氏が「兄弟」と呼んでいる和佐大輔について、そして現在和佐大輔と進めている「創造的破壊プロジェクト」について“ここだけの話”をしていただきました。

最初は生意気なヤツだと思った

―― 原田さんが和佐大輔の存在を知ったのはいつ頃ですか?

「2005年に彼のデビュー作『トップを狙え!~高校中退・18歳の私がニートを脱出して“稼げる”アフィリエイターになった非常識な手法!!』が出た時ですね。僕はまだ20歳の学生だった2004年から情報販売を始めていて、それまでまわりを見渡しても同じことをしている同世代はいなかったので『自分こそ最年少のネット起業家だ』という自負がありました。

ところが『トップを狙え!』の存在、そしてそれを出した和佐大輔という存在を知った。その時僕は『オレより若いヤツがいたなんて』というライバル心と『オレみたいなアウトローなヤツがいる』という変な仲間意識めいたものを同時に持ったように記憶しています。そこで『トップを狙え!』を買って、『どんなもんなんだ』と品定めするような感じで読んでみたのです」

―― 読んでみてどうでしたか?

「『生意気で嫌だな』という印象でした(笑)。自分も生意気なので人のことは言えないのですが、それでも彼の文章には共感できなかった。だから彼への興味はそこで一度なくなってしまったのですが、その後2006年3月に、僕が慕っている先輩起業家が仲間の人を講師に迎えて渋谷でセミナーをするというのでその案内告知を見たら、講師の中に大輔がいたんです。

そこに出ていた写真で初めて彼が車椅子生活をしているのを知りましたが、僕は気にも留めず、それよりも『あの生意気なヤツも来るのか。じゃあ顔だけでも拝んでおいてやろう』という気持ちでいました。

同時に、講師をやるというならそれなりのレベルだろうから、自分より若いヤツがセミナーでどんなことをしゃべるのかという興味もありました」

―― 和佐大輔を初めて生で見たのはそのセミナーの時だったわけですね。第一印象はどうでしたか?

「やっぱり生意気でしたね(笑)。人生初のセミナーだという割にはあっけらかんとして緊張していない感じだったし、しかもレジュメもないに等しく、ただ淡々としゃべっていくだけ。

そのしゃべり方もなんか生意気だし、何かを熱く伝えたいという思いもないように見えて、『何なんだコイツは。世の中ナメてるだろ!』と思いました。僕はエモーショナルな人間なので、人間臭くない無機物みたいな人って嫌なんです。

そういう人って何考えているのかわからないし。大輔もまさに無機物な感じでとらえどころがなかったので、そういう人種と関わりを持ってこなかった僕はセミナー後の懇親会でも彼に話しかけませんでした(笑)」

お互いネット起業家の最年少組。会う機会が多くなって少しずつ和佐大輔を理解していった

―― そんな嫌な存在だった和佐大輔と、現在ではパートナーを組むほどの関係になっています。どのような経緯で二人の距離は縮まっていったのですか?

「まず単純に、会う機会が多くなって少しずつ彼を理解していったということがあります。たとえばさきほどのセミナーの数ヶ月後、当時のいわゆる有名なネット起業家と言われる人たちが沖縄に集まって遊んだ時があるのですが、そこに大輔もいたんです。

その時はまだ『コイツも来てたのか』という程度でそれほど話すことはなく、まるで珍獣を見ているかのような感じだったのですが(笑)、翌年にもう一度沖縄で遊ぶ機会があって、その時僕と大輔が前乗りということで偶然先に来ていて、郷土料理屋に行って初めて会話らしい会話をしました。

僕と大輔は当時活躍していたネット起業家の中では最年少組だったこともあり、その共通認識の下に会話したことで一歩距離が縮まった気がします。その帰り道、僕は大輔の車椅子を押していたんですが、不意に彼が『ここで原田さんが手を放したら僕は死にますね』って、あの無邪気な笑顔で言うんです。

その時に、セミナーで彼があっけらかんとしていた理由が少しわかった気がしました。『コイツは、とらわれてないんだ』と。事故で死と隣り合わせになったからこそ変な執着や自尊心がなくなり、あるがままという感覚を自分で飼い慣らしているんだなと思ったんです。そんなふうにして、会うたびに少しずつ和佐大輔という人物を理解していった感じです。

ただ、その直後に『情報起業解体新書を紹介してくれませんか?』とお願いのメールが来た。その時は『まだそこまで付き合いが深くなったわけでもないのにどうしておまえのコンテンツを紹介しないといけないんだ?』と思って、そこでまた大輔が嫌になりました(笑)。僕だったら深い付き合いをしていない人に頼みごとはしませんから。貸し借り作るのが嫌なので」

最初の沖縄旅行の写真

―― では「情報起業解体新書」の紹介は協力しなかったのですか?

「最終的には、しました(笑)。大輔は『業界健全化のために協力してほしい』と言っていたけど、僕は起業家としてバリバリやっていたので、正直言って他人のコンテンツを紹介している時間なんてなかったんです。ただ、それまであっけらかんとして、沖縄でも僕にも対等な感じで話してきていた大輔がへりくだってお願いをしてきたので、それが珍しいなと思って気にかかっていました。

また、その頃僕は『下剋上プロジェクト』という、後発組の起業家を応援するプロジェクトをやっていて、そんな活動をしている僕を頼って『これをやりたいんです』と一生懸命に言ってくる若者に対して、やっぱり協力してあげないわけにはいかなかった。最終的には付き合いが浅いとか深いとか、そういうこだわりもなくなって『わかった!やるよ!』って感じでしたね。

ただ、大輔とチャットで打ち合わせたんですが、そこで大輔が何度も『それって面倒臭くないですか?』という言葉を口にしていて、お願いしてきているのになんて怠慢なヤツなんだろうと思いました。

僕は『面倒臭い』という言葉が一番嫌いなんです。だから『コイツも結局学ぶのが嫌いな、ネットの世界によくいる小遣い稼ぎの兄ちゃんなんだな』と思って、これを限りに彼と一線引くつもりだったんです。でもそこからだったんですよね、大輔の快進撃が始まったのは」

神田正典さんから直接学んだ原田氏も「ネットビジネス大百科」には唸った。大輔が“本物”になってきた

―― その後、和佐大輔は木坂健宣さんと「ICC」というプロジェクトをスタートさせ、そして「ネットビジネス大百科」をリリースしました。

「その頃の僕は有名起業家と組んで秋葉原で携帯アフィリエイト塾を始めて募集1週間で1億ぐらい売り上げ、その後株式会社ウィルゲートから声がかかって取締役に就任した時期です。ウィルゲートで僕は弱冠23歳で30人の部下を抱え、彼らにDRM(ダイレクト・レスポンス・マーケティング)を教えて実践させながら結果を出させていました。

だから当時は『ネットビジネス出身で、オフラインでもここまで結果を出している人は自分以外にいない』という自負がありました。そして書籍『ありえないマーケティング』の執筆も決定し、僕のDRMの師匠である神田正典さんが本の帯を書いてくれました。

僕は自分がこのような実績を出せたのはDRMを日本に初めて持ち込んだ神田さんから学んだことによるものが大きいと感じていて、そんな僕からすれば『ICC』で大輔や木坂さんが2億円売り上げたとか『ネットビジネス大百科』がすごいと噂になっても『何言っちゃってるの?』という感じだったんです。

ネットビジネスでDRMと言ったってスケールが小さいじゃないか。どうせ今までの情報商材みたく情報弱者を相手にしているだけだろう、だからそこそこのレベルのものでも『すごい』って言われるんだろう。そういう目で最初は見ていました。

でも、時間の経過とともにどんどん『大百科』の反響が大きくなり、賞賛の輪が広がったので『なんでみんな、そんなにすごい、すごいと言うのだろう』と思って僕も買って音声を聴いてみることにしました」

「ネットビジネス大百科」

―― 聴いてみていかがでしたか?

「大輔が、木坂さんと組んだことによって“本物”になってきたな、と感じました。これは先に木坂さんのことを語らないと説明できないので少し語りますが、僕は『大百科』を聴いて、素直に『木坂さんには負けたな』と思いました。

本の帯を書いてもらえるほど神田さんに認めてもらって『自分は神田さんの最年少の後継者だ』という自負のあった僕が負けを認めるのは悔しかったですが、木坂さんは神田さんからではなく、DRMの本場であるアメリカから直接自分で学び取っていた。

その時点ですでに一枚上手でした。しかも、木坂さんの物事のとらえ方は他のネット起業家たちの誰とも違っていた。次元が違ったんですね。僕には僕のとらえ方があったんですが、それとも違った。でも、専門分野が彼は哲学、僕は言語学ということで似ているし、話している内容のバックボーンも似ていて、共感覚もありました。

しかも木坂さんと僕は同い年だったので、学生時代に出会いたかった友人のイメージそのものでしたね。ここで大輔の話に戻りますが、彼はそんな木坂さんと組んだことで、もともと持っていた素質を開花させたような気がしたんです。以前は『面倒臭い』という言葉を発していた大輔が『本物を求めるなら面倒臭い道に行かないといけないんだよ!』という感じに変わっていたし、木坂さんの世界をまるでスポンジのようにしっかり吸収してそれを自分のものに変換し、自分の言葉で語れるようにもなっていた。

僕は大輔のそんな成長ぶりと、『枠を超えていく力』に可能性を感じて、単なる横着な悪ガキだという見方を改めました。そして、彼が木坂健宣という存在を受けとめられているのもすごいなと思いました。それは思うに、木坂さんも大輔が必要だったのでしょう。大輔は木坂さんのおかげで本物になっていったけど、一方の木坂さんも、一人でまともにメッセージしていたら一般には敷居が高過ぎて受け入れられなかったと思うんです。

それが大輔という存在を触媒にしたことによって受け入れられた。その相乗効果で『大百科』がこれだけ反響を呼ぶ教材になったのだなと素直に思いました。実は、この『大百科』を聴いたおかげで、僕は和佐・木坂コンビに自分の悩みをより深くさせられてしまいました。

なぜならこの頃、僕はもうネットビジネスの世界に完全に見切りをつけようかと思っていたからです。すでにオフラインでも圧倒的な結果を残しているし、さらに新たな世界に挑戦するためにもネットビジネスから離れようと。

でも、見切りをつけようとしたその世界で、彼ら2人が時代の寵児になっていた。これには単純に嫉妬しました。なぜそれが自分じゃないんだって。それで見切りをつけることを躊躇し、どうしていくかということについて明確な答えを出せないまましばらく過ごすようになったのです」

何年経っても変わり映えしないネット起業界に大輔も僕もムカついていた。それが「創造的破壊プロジェクト」誕生のきっかけに

―― そこから「創造的破壊プロジェクト」でパートナーシップを結ぶまでに和佐大輔と距離が縮まったのはいつ頃ですか?

「2010年の夏頃、そして9月と立て続けに大輔に会った時ですね。夏頃は僕の友人の起業家のスタッフの結婚式が沖縄であってそこで偶然会い、9月は大輔がアフィリエイターを集めて開いたパーティーがあって、彼が僕を招待してくれて行ったんです。僕は2009年12月に『28歳までに結果を出す!勉強のルール』という本を出すまで主に執筆活動をしていて、表舞台にはあまり出ていませんでした。

そして2010年に入ってから大輔と再会するまでは、愛媛のエステチェーンのコンサルや店舗の再開発の仕事などをしながらも『自分を再定義する』ということをしていました。

つまり、和佐・木坂コンビの影響で、まだ自分の方向性を決め切れていなかったんですね。僕はオンライン・オフライン問わず、もうどの分野に行っても活躍できる。でも、どこでも行けるからこそ、次にどこに行くかという選択が重要だと思いました。それでいろいろ考えている頃に大輔と再会したわけです。

でも大輔のパーティーの時には、僕はしばらくネットビジネスから離れていたせいでまわりに知っている人がほとんどおらず、大輔ぐらいしか話が出来そうな人がいませんでした。浦島太郎状態ですね。大輔の方も『大百科』の影響なのか、なんだか変な大御所感があって、主催者なのにみんな敬遠して彼がポツンといるような感じだった。だから僕が大輔のところに行って、『久しぶり。誰なのこの人たちは?』といった感じで話をしていました。

すると大輔も『いやー、僕らももう古株で、老人みたいですね』と言っていて(笑)。お互い変なシンパシーを感じていました。僕は会場を見渡して、その光景に少し違和感を覚えたんです。『久しぶりに見たけど、全然変わってないな』って。申し訳ない言い方だけど、つまらない人が増えたなっていう印象だったんです。

昔はもっと魅力的な人たちが多かったのに、そういう人がなんでもっと出てこないのだろう、新陳代謝がないなこの業界、という思いでした。そんなことから、酒の席のノリも手伝って、軽い気持ちで大輔に『ムカつくから何かやろうか』って言ってしまったんですね(笑)。

大輔は『大百科』で“クソネット起業家の撲滅”をやり、その後自分のビジネスを成長させて、狭い世界のカリスマになりつつあった。僕は『ネットビジネス出身の人間はもっと外へ出ていくべきだ、ネットビジネスで培ったノウハウは違う次元の世界でも生かせるんだ』ということを証明したくて、広い世界を志向してやってきた。つまり大輔は業界の中から変えようとして、僕は業界の外から外圧を加えようとしていたわけです。

今思えば、大輔と僕との出会いはこの2つのテーゼの出会いだったんですね。そして、なかなか業界が変わらない現状に耐え切れず『もう一回俺たちで時代を動かそうか』と口が滑ってしまったんです。

すると、その日の夜中に自宅に帰った後メールボックスを見たら、『原田さんとやりたいです』と大輔からメールが来ていて。正直、その時はいろいろ考えました。僕は必死でネット起業家という見られ方の範疇から出ようとして頑張ってきた。でも、大輔はネットビジネスに特化してきているから、組めば当然僕もネットビジネスに戻ることになる。それでいいのか、という迷いがありました」

―― 最終的に和佐大輔と組んだ決め手は何だったのですか?

「大輔が他の起業家とともに講師を務めた1DAYセミナーに僕を招待してくれて、そこで大輔の講義を聴いた時ですね。彼のセミナーに行ったのは最初に彼を見た2006年3月のセミナー以来だったのですが、『一皮むけたな』と思いました。

昔はあっけらかんとしていた大輔がここまで成長したのかって。その日出ていた講師の中で、大輔が一番、理念を持って話していたんです。愛とかも説いていたし。腹を割って話していて、彼の言葉に信念が宿っていた。

そんな大輔が『原田さんとやりたいです』と言ってきてくれたのかと思うと彼が可愛く思えてしまって『よし、コイツと組もう』と思いました(笑)。僕はネットビジネスの外の世界に出てやってきたから、大輔に彼が見たことのない世界の流儀を見せてあげられる。

一方、大輔はネットビジネスど真ん中でずっとやってきたから、僕が見て来れなかったネットビジネスの世界を彼に見せてもらうことができる。大輔と僕は水と油のような関係だけど、混ぜ合わせれば何か新しいものが生まれるような気がしたんです」

―― 二人のプロジェクトのコンセプトが「創造的破壊」になったいきさつは?

「これは、お互いが今までコンサルをやってきた中で感じていた無意識の部分の言語化だったんです。降ってくるようにこの言葉は出ましたね。ああ、創造的破壊だな、と。時代はもうそういう方向に動いていると感じたんですね。だからこれをコンセプトにして、今回は『稼ぎましょう』みたいな具体性や便益性よりも、概念を流布しようと思ったんです」

創造的破壊プロジェクトのシンボル

最初はかみ合わなかったが、セミナーでお互いの話を聞いて目指す方向が見えた。大輔が「文化創り」という言葉をくれた

―― そして「創造的破壊プロジェクト」がスタートしました。和佐大輔と原田翔太という“水と油”が混ざってみてどうでしたか?

「最初は歯車がかみ合わなかったですね(笑)。『創造的破壊』という言葉は出せたけど、お互い何をやりたいか、何ができるかがはっきりとはつかめなかった。大輔は『好きなこと・やりたいことをビジネスにしよう』という感じだったけど、僕はもう少し突っ込んで、何かを生み出したい人がそれでメシを食えるあり方……つまりライスワークとライフワークのバランスといったものを提供するつもりでいました。

だからしっかりチューニングしていかないといけないと思っていたのですが、そのチューニングができたのが『創造的破壊合宿セミナー』です。このセミナーでは、僕らはあえて示し合わせをせず、お互い何を話すかは当日、ふたを開けてみないとわからないようにしました。

だから当日は、大輔は僕の話を、僕は大輔の話を一人の参加者として初めて聞いたわけです。そして聞いてみた時、これから二人はどういうコンビネーションを組んで、どういうふうにこのプロジェクトを進めて行くべきかというのが見えたんです。

二人だけで話した時には見えなかったことが、オーディエンスがいるセミナーという場でパブリックな話として聞いたおかげで見えた。大輔は当然ネットビジネスの世界の話で、僕はそれ以外の世界の話をしたのですが、世界は違えどもお互いに共通するコアな部分がそこにあるのが見えてきたんです。

アウフヘーベン(*1)によるジンテーゼ(*2)が起こったんですね。ジャンルの違う音楽同士が即興演奏したら、いい楽曲ができたということです」

(*1)アウフヘーベン…ある問題(テーゼ)に対して矛盾(アンチテーゼ)が生じた時に、その矛盾を切り捨てることなく両者を総合しようとする行為を指した哲学用語。

(*2)ジンテーゼ…アウフヘーベンによって総合した結果のこと。

「創造的破壊合宿セミナー」の一コマ

大輔には的確なコンセプトをすぐに出せるすごさがある

「ただ、まだそのコアを言語化するまでには至りませんでした。僕の師匠の神田さんが『エモーショナルマーケティング』『ダントツ起業』というように、コンセプトを時代を巻き込むような一語に落とし込む天才なので、僕も言語化できないとモヤモヤしてしまうんです。

そんな中、次に『創造的破壊クラブ0期』のセミナーをやったのですが、その休憩時間のこと。大輔が『文化を創るってことじゃないですかね』って言ったんです。その時に『おお、それだ!』と思ったんですね。

『ネットビジネス大百科』も、ネットビジネス界にDRMを文化として定着させた。そんなふうに、僕らが救いたいのは新しい文化を創りたい人たちだ、と。そしてそれを定義した途端、おもしろいことに『創造的破壊』あるいは『破壊的創造』という本が出てきたり、『コア』『イノベーション』を標榜してメッセージを伝え始めているビジネスリーダーが多くなって、僕らの言っていることとシンクロしてきたんです。

そこで確信を得たんですね。僕は自分個人のビジネスでは創造的破壊の概念を「小っちゃな革命」と言い表わしているのですが、これも大輔が『文化創り』というキーワードをくれたおかげです。彼はすぐにそういうコンセプトを出せる。そこは天才的だと思いましたね。自分一人では見つけられなかった言葉が彼によって見つかったのは大きいです」

魑魅魍魎の世界に長くいても目がきれいなまま。だから大輔は天使である

―― そして現在、「創造的破壊プロジェクト」のクライアントは新しい文化を世の中にどんどん生み出しつつあります。ここまでのサポートを二人三脚でやって来られて、改めて和佐大輔についてどういう印象を持っていますか?

「今はもう、兄弟だと思っていますね(笑)。言い忘れましたが、僕が彼と組もうと決めたのにはもう一つ決め手があったんです。それは2010年に再会した時、初めて会った時と印象が変わってなかったこと。

特に、目がきれいなままだったことです。僕は人と会った時にまず目を見るんですが、大輔は少年の目をしていた。ネットビジネスは酒池肉林、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の世界で有象無象がたくさんいますが、そんな世界に長くいるのに目が汚れていないなんて稀有なことなんですね。

それはおそらく、大輔が自分のまわりの世界を全面的に信頼しているからではないかと思います。信頼していないと生きていけない身体の状況だということもありますが、それだけだったら目がきれいなままでいられることはないと思うんです。僕は、ポイントは家族にあると見ました。

和佐家は家族愛が深いんです。僕も家族はリスペクトしていて、家族を信じているからこそ振り切れてやってこれた部分があります。大輔と付き合って、彼も同じなんだなと思いました。だから大輔と僕は水と油で対極にある関係なんだけど、根っこで分かり合えている、そんな感じですね。

思えば、大輔が木坂さんとか僕とか、そういった特異なキャラクターの人間を受けとめることができたのは彼がずっとピュアな存在だったからではないでしょうか。そしてそのピュアな部分に共感しているファンが多いということにつながっていると思うんですね。

だから、言ってみれば大輔は天使なんですよ。2011年12月、僕らは木坂さん、吉田傑(すぐる)さんの4人で『創造的破壊サミット』というセミナーを開催しましたが、このメンバーって大輔抜きでは成立しなかった組み合わせなんです。大輔以外の3人では合同セミナーはできない。

そんな同時成立させられないものを大輔の存在によって成立させられるのだから、やっぱり彼は天使でしょう。木坂さんみたいな稀代の思想家を天上界から降臨させて紹介できる

とか、僕のようなアクの強い人間を巻き込めるなんて、天使じゃなければできないですよ。だから、彼は人間じゃないですね(笑)。

それと、大輔は自分のクライアントのことを心から思っているなと思いました。僕と組む前の時期は、クライアントの業種とか内部体制とか、いろんな意味でバリエーションが増えていて、彼の持っているものだけでは解決できないことが出てきていたと思うんです。だから自分のクライアントの助けとなるために、彼がまだ知らない世界のことを知っている僕に白羽の矢を立てたのだと思うんですね。その行動は素晴らしいと思いました」

「創造的破壊合宿セミナー」の一コマ

―― 最後に、今回の原田さんのお話を読んでくださった方にひとことお願いします。

「人の魅力は多面的であり、僕の大輔に対する見方もある定点的な見方でしかなく、僕という目のフィルターやバイアスがかかっています。だから僕が語った大輔がすべてではなく、あなたから見た和佐大輔もあるはずです。

その一方で、ここ一年は大輔の家族の次くらいに近くで彼を見てきた男が切り取った視点だということもわかってもらえればうれしいです。これを読んでくださっている方は大輔を好きな人、嫌いな人、いろんな距離感の人がいると思いますが、僕の話から彼のとらえ方を改めて持ってもらって、そしてあなたの中の大輔を再定義してほしいと思います。すると彼の魅力がもっと深まる、もしくは魅力を再発見するかもしれません」

和佐大輔より

原田さん、僕についてのストレートなコメント、ありがとうございました。

Profile

原田 翔太(はらだ しょうた)

1984年3月生まれ、東京都三鷹市出身。上智大学文学部、早稲田大学第二文学部中退。(言語学専攻)

「小ちゃな革命」を支援する会社」 (株)ユナイテッドリンクスジャパン代表取締役社長
「全く新しい、革命の出版社」 イデアパブリッシング(株)取締役副社長(COO)

携帯アフィリエイト関連で年商1億円を売り上げるなどの圧倒的な結果を叩き出し「ネットビジネス界の風雲児」と称されながら、同じ世界にとどまることを嫌ってオフラインビジネスのコンサルに乗り出し、小さな商店から名だたる大企業まで、売上記録を更新させ続けてきた気鋭の起業家・原田氏。そんな原田氏が「兄弟」と呼んでいる和佐大輔について、そして現在和佐大輔と進めている「創造的破壊プロジェクト」について“ここだけの話”をしていただきました。

在学中にバンド活動に精を出すが、ライブハウスで知り合った悪い音楽プロデューサーにだまされ19歳で300万の借金を背負う。返済のために朝から晩まで激安の時給でアルバイトを続けているうちに彼女が別の男性と付き合ってしまい、抜け殻のような日々を過ごす。

しかしその後、得意だった語学を武器に、実家の一室にて、パソコン1台、身体一つのみで英語翻訳者として起業。その後ウェブサービス運営を通じ、若干22歳にして単身で1億円を超える売り上げを叩き出し、「ネットビジネス界の風雲児」と称される。

現在は東京都・吉祥寺で経営コンサルティング会社「有限会社ユナイテッドリンクスジャパン」を経営。精密な数字の裏に潜む、人間の深層心理を鮮やかに捉え追及する「感性と理論の融合」をモットーに、町の小さな商店から誰もが知る有名大企業まで、ネットを使って、少ないリスクで、大きなリターンを生み出すためのビジネス戦略を伝授する。

あらゆるビジネスの中に眠る「コア」を掘り起こし、立体的に魅力を言語化・視覚化する「360°マーケティング」を指導。業界記録を塗り替えるクライアントを続々と輩出中。

1年持てば良いといわれる変化の速いウェブビジネス界において、その普遍性の高いパワフルなメソッドが幅広い指示を集め、国内でもトップクラスの実績を誇り、27歳の現在、若手NO1コンサルタントとの呼び名が高い。

その手腕を買われ、2007年より経営参画・資本出資した株式会社ウィルゲートでは、常務取締役兼最高マーケティング責任者(CMO)として、SEO業界最後発参入だった同社を、「日本のベストベンチャー100」選出、業界成長率NO.1企業へ成長させるなど、短期間のうちに業績アップに導いた。(2011年7月同社取締役退任)

業界NO1の電子書籍ポータル「インフォトップ」の立ち上げ期からかかわり、モバイル版プロデューサーとして同社の知名度獲得・市場創出に貢献。その後、国内の情報販売における啓蒙機関として「日本インターネットアントレプレナー協会」(現一般社団法人日本情報販売倫理機構)の立ち上げに副理事長として携わるなど、電子コンテンツ業界を草創期から支えてきた。その経験を生かして、現在国内大手出版社などに、デジタルコンテンツビジネスの指導も行う。

停滞気味なビジネスに『イノベーション=革新』を意図的に生み出し、短期的に業績UPさせる『小さな革命』の専門家。0から『まだ世の中にカテゴリのないビジネス』をプロデュースすることも得意。

「22歳の大学生が1億円稼いだ ありえないマーケティング」など著書多数。最新刊は「28歳までに結果を出す!勉強のルール」。